
おほけなく 憂き世の民に おほふかな
わがたつ杣に 墨染の袖
Reading
Okenaku Ukiyo no tami ni Oou kana
Wa ga tatsu soma ni Sumizome no sode
和歌の意味
身の程もわきまえず、このつらい世の中を生きている民に私の僧衣の墨染めの袖をおおいかけるのだ。 私が入山したこの比叡山に仏の加護がある様にと祈ってやまない信心で。
Meaning
I have begun to live on Mt. Hiei, will make an effort so that people in this world can live in peace and quiet by my training of Buddhism, though it's greater than I deserve.
鑑賞
この歌は比叡山延暦寺の根本中道建立の際に、天台宗の開祖最澄が詠んだ歌を本歌としている。
仏教の力で、貧しい民を救いたいという若い僧侶の決意があふれ出ている。
当時は源平の合戦の頃、世の中は乱れ、人々は疫病の流行、飢饉、戦乱という過酷な生活の中にいた。
若い僧侶の慈円は衆生を救おうと理想に燃えていた。
慈円は、76番藤原忠通の息子、11歳で出家。
「新古今集」の代表的歌人。後に大僧正になり、天台座主に居なった。『愚管抄』の作者。